Twitter老人会

7,8月とバタバタして毎月更新の目標のブログを落としたわけですが、ヨーロッパ旅行の帰路の飛行機で時間ができたので書きました。(投稿は帰国後の1週間後になりました…)
若干ドタバタのピークは超えましたが旧Twitter改Xとなった今、過去を振り返りつつ思ったことを断面として書いていこうかなと思います。

最近の使い方

  • Twitterは無駄な時間9割、情報収集1割
  • 特定のリストを確認し、暇なときにタイムラインをざっくりと見る
    • 前ほどTwitter民との絡みが減った
  • 課金を考えたときTwitterする時間を減らしたほうがあるべきと感じる
    • サードパーティアプリが使えなくなりTweetDeckを使い
    • TweetDeckも使えなくなり、公式アプリから固定したリストと、溢れたリストを手動で見に行く
    • 使えなくなったらそれはそれでいいやとなってきた
  • 情報収集という観点ではクローズドコミュニティが強くなりそうな気がする?
    • 裏話は触れやすくなりそうだが、マルチポストは面倒なので、どうなのだろう

過去話

Twitterとの出会い

始めたのは2009年10月で中学3年の頃でした。当時Yahooブログで知り合った自作パソコン民とSkypeで交流をしており、そこからTwitterを勧められ登録したのがきっかけです。
思い返すと黒歴史感もありますが、徐々にTwitter廃人へと進んでいきます。
高専の合格祝ということで親の資金で当時最高峰のi7のCPUを使い15万程かけ自作PCを組み自分専用のパソコンを手にします。(グラボにはそこまで金をかけませんでした)
またその数ヶ月後にスマホの走りであるXperiaを手にしWiMAX運用を始めます。この先IS01(通称メガネケース)を始めとする端末乞食もしていくわけですがここでは割愛します。

コミュニティ

自作PCがきっかけで登録したTwitterですが高専1,2年の頃、東方Project等々のオタク系、同年代のツイッタラー、オフ会、リナカフェに集まる人、高専関係と広く浅く広げていきます。
A-ONEの自宅で印刷できるシリーズで名刺を作り配ったのも懐かしい限りです。(最近荷物整理で名刺を処分したような気がします)
一部メンバーとはSkypeで繋がり、夜会話したりもしました。些細なことで言い合いになり、今となれば痛い振る舞いをしたような記憶もあります。
振り返ると痛い振る舞いをする若い層がいつつ、高い年代もいるコミュニティの懐の深さ?を年を取ったからこそ感じます。自分は20歳未満がいるコミュニティに今は関わっていません。

特に関わりが深くなったスーク氏を中心とする人たちと青春18切符で関西に旅行したり、車でどっかに行ったりと友人レベルの距離感まで近付きました。

当時のTwitter

TweenなどのPCクライアントではユーザーストリームというフォローしているユーザのtweetが随時流れてくるようになりました。
フォローが多いほどタイムラインが早くなり、一時期はこの分速にどれくらいtweetが流れてくるかというのを競っていた時期もある気がします。
20-24時あたりにTwitterに張り付いて色んな人の自由なつぶやきを眺めつつ、自分もそれを見て思ったことを自由に呟いていく時間の感覚をなんとなく覚えています。
空リプ、連投、規制(サブ垢)、脊髄ついーと。鯖落ちのくじら。
詳細は端折りますが、当時のTwitterを表す文化だったと思います。無意味な単語を文字数制限になるまで+1しつつ連投したり…
当時のtweetを消しておいたほうがいい気がしつつ、まだそのままにしています。今となってはリスクでもあるんですよね…リスクになるほど有名になるかというのはあるのですが。

あとはツイピク。
公式が画像対応し、サービス終了後画像の消えると騒がれつつ、最終的に買収され画像は見れる状態になっています。これも一応すべてダウンロードしたけど画像はそのまま整理しないままになっている。

徐々にTwitter離れしていく

高専3年あたりになり、授業やレポートも大変になっていき相対的に遊ぶ時間が減っていった気がします。
なんとなくこの辺りから、在学高専内の人との関わりが濃くなっていった気もするのですが、高専1年の頃から高専の友人と夜な夜なFPSをやってたりしたので、違うような気もします。
とはいえ高専2年の途中から始めた写真部のフィルム現像の活動から高専3年には部長をやったり、高専4年では学生会の影の支配者(選挙で決められた役員ではないが、会長のサポートをする)をやったり、ギークハウス南千住を始めたりと高専つながりの活動が濃くなっていきました。
土方の単発バイトからピザ配達のバイトを始めたのも高専3年のあたりで、相対的にTwitterに入り浸る時間、オフ会でツイッタラーと会うことが減っていきました。
写真に加え、バイクを購入したのも要因の1つとしてある気がします。

徐々にTwitterの文化としても一般人?が増え、好き勝手やる場所から、ビジネスっぽさが現れ、気軽に「おっぱい」とつぶやけなくなっていきました。
どうでもいいですが、つぶやき、post、ツイート色々呼び名はあった気がしますが、回り回って今はpostに戻ってますね。この記事内ですらなんかノリで書いてるので表記ゆれしています。

そして就職したあたりから、過去会った人もなんとなくウォッチするけど、リプライ等々で絡まなくなったり、自分と同じようにライフスタイルの変化からTwitterで見かけなくなる人も出てきました。当時と同じように今も浮上している人もいて、それはそれで感心するw

合計ツイート数がTwitter廃人を示す指標の1つだったときや、1日にどれだけ規制を回避しつつpostできるかを競っていた時期もありましたし、毎日欠かさずpostしていましたが、次第に1日に1度もpostしない日が出てくるようになってきました。
当時の名残もあり、ツイート数は197,606と20万手前ですが、ここ数年は月100も無いので失速しています。

1つは社会人として自主規制するようになったこと。仕事しかしてないと書けることがない状況
もう1つは自己開示欲や承認欲求的なものが減ってきたこと。例えば彼女がいたとしてもわざわざデートの様子をネットに書かなくてもいいかと言う感じ。4sq改めSwarmのチェックインもこの辺りから減っていった気がします。(いよいよTwitter連携によるpostができなくなったみたいですね)

中学の頃は政治について考えることが多かったですが、今となった情報は見ても考えたり、考えたことをアウトプットすることが無くなったことに近い気がします。(自分だけ?)
政治に関しては自分ができることは選挙に行くことと、たまにパブリックコメントに投稿することと、決まった制度をうまく活用する側に回ることです。

2,3周目のバイトテロとか

最近は醤油ペロペロで問題になりましたが、12年前あたりも冷凍庫ダイブがあったり、6年前?あたりにはインスタのストーリー拡散で高校生あたりの問題行動が取り上げられた気がします。世代が変わり危機意識が薄れたあたりで再発するので歴史は繰り返されるとか言われていたり

思想の強い人が出てきたり、その人とレスバしている様子を誰かが引用したり、お気持ち表明したり…そもそもおすすめでそういうものが出やすくなったり

そんな感情を揺さぶられやすい時期を超え、そういったものはどんどんブロックし楽しいものだけを残すスタイルになっていきました。
そういう何かしらのイベントに対して、感情を揺さぶられ、何かを考え思い、書きたくなってしまう。この時間自体が無駄に近くワイドショーと変わらない状態に気付きます。
それでもたまに書くときはありますが…

今後Xとどう付き合っていくか

冒頭に書いたように正直惰性でやってる感じは否めないです。でもある種の娯楽であり、ショート動画をだらだら見るよりは僅かに情報収集になる分、娯楽としては有意義な気もします。(ショート動画もDIY系の動画は受動的ながら勉強になったりしますが…)
Xがどうなるか分からない状況もあるし、だからといって別のSNSに乗り換えたいかというと、課金しない理由と同様に乗り換えるほどではない。
徐々にSkackやDiscordを始めとするクローズドコミュニティのほうに傾いていくのかなと思いつつ、Twitterの幅広い人がいる状態(ブロックもするので偏りはあるが)がなくなるのも少し寂しい気がする。

とはいえ自分から能動的に対処するかというと、娯楽的時間泥棒的な立ち位置なので受動的に成り行くままに任せるという感じである。
娯楽的な面ではより質の高い娯楽に移行したほうが良い気もする。すでにPodcastを雑多に聞いているので、どちらかというとそっちにシフトしているのかもしれない。
とはいえ片手で収まるほどしかクローズドコミュニティに属してないので、思い立ったらPodcast系のコミュニティに入っていこうかなとは思っています。

というわけでXに変わったあたりの断面でした。