飽和系男子

少々前に、私がやりたいこと多いのにどれも手をつかなくて・・・みたいなこと話してたら友人がそれ飽和してるじゃん・・・
その後Twitterでも飽和だなぁとか言いつつ。飽和系男子という言葉が生まれました。
ちなみに辞書で調べると
ほうわ はう― 0 【飽和】
(名)スル
(1)最大限度まで満たすこと。また、最大限度まで満たされていること。
「大都市の人口は―状態に達している」
(2)ある条件下で、一定量に達すると外部から増大させる要因が働いても、それ以上には増えない状態。
今回私が言う意味とは
色々やりたいことは増えるが、どれも中途半端にしか手がつかず満足にできない。極められない。
ことである
さて私がなぜこんな状態になってしまったのか・・・
原因は大きく2つあると思われます。
Twitterの存在。
私は積極的にフォロー・フォロワーを増やしてきました。更に秋葉原の突発的なオフ(リナカフェ等)に顔を出したりし、能力が高いと思われる人に出会う回数が増えました。
一見同年代の人で親近感あるなぁと思っても、案外何かを極めていたりしてすごいなぁって思います。Webデザインとか
高専に通って。
Twitterの存在に加えて高専。身近な人の影響は捨てがたいと思います。
幼い頃からプログラミングやっていた人。電子工作できる人など。
また、この人高専に向いてないかなぁーって思った人がとあるきっかけにより、電子工作を始めたり。こいつらには負けちゃいられん・・・(高専って最初はそうでも後々どんどん洗脳されていくのかなぁとも思ったり)
少しずれるけど、車取るまでバイク乗りたいなぁってあと1年だけど。ツーリングしてぇ!友人は高いかね払って合宿か・・俺は一発で・・・

結局何がいけないって・・・

インターネットが悪いよなぁやる気があればなんでもできるように見えてしまう。出来る人はいっぱい目に付く。
PCがあれば出来るって思えちゃう・・・少々の道具やソフトの投資は必要であったり。でもフリーソフトというものもあったりで・・・
個人的問題
やりたいことができても取捨選択が出来なかったり。一つに絞れなかったり・・・
もともと高専入るときにやりたいことが決まってないのもなぁ

少しそれて

少し前は、フリーターが多いとか問題になっていましたねぇ・・この先はネオニートでしょうか・・・既にニートは多いですが・・
少し考え方が違うような。ネオニートも少し違うかもなぁ
自由なことやりたいから職につかないというか一つのこと決められないから職につかない・つけなかった・・・
方向的には同人だったりフリーランスだったり。そこまで行くと極みが必要だよなぁって飽和とずれたような。
最近現社の宗教や歴史で昔はうんちゃらかんちゃらで生まれたときに職業は決まっている。とか聞いたり。
高福祉で有名なスウェーデンが失業者増えたから、クリーンエネルギー産業の職業訓練を増やしうまく人を動かすとか・・・(ちょっと関係ないような)
要は職業決めるのも大変だよなぁと。やりたいこと選べとか選ぶなとかあるし
まぁ今できることはやりたいこと極めろってことなんですけどねぇ絞れなくて・・・やりたいことリストを今度上げましょうや